2015年10月1日木曜日

福山雅治ショック「福山龍馬と坂本龍馬の結婚」

「 いつもいつも応援ありがとう。25年間、共に歩んでくれて本当にありがとう。
恥ずかしながら、人生でこんなに緊張しながら書く手紙があるんだ!?
と感じながらのご報告です。

一番にBROS.(公式ファンクラブ)に伝えさせてください。
本日9月28日に、吹石一恵さんと結婚いたしました。」


 これは、2015年9月28日の午後3時過ぎ、マスコミ発表の直前にファンクラブの会員に送った福山雅治さんの結婚報告です。

「恋人にしたい有名人1位の福山雅治さん、結婚」のニュースは、日本中の女子に衝撃を与えました。

・失恋休暇を取る女子、
・SNSがつながりにくくなった
・夕食作りお休みのお母さん

・「やけ酒」セールの居酒屋出現
・吹石一恵さんのホームページがアクセス殺到でパンク
・福山さんの歌「家族になろうよ」がヒットチャート上昇

などなど、「福山ショック」の影響は数え切れないようです。

 福山雅治さんが所属する芸能事務所「アミューズ」の株価(東証1部上場)は、9月29日1日で、9.4%も下落したそうです。
 実は、結婚発表を午後3時以降にしたのは、株価への影響を最低限に抑えるための苦肉の策だったそうですが、それでも翌日、これだけの影響があったというのは、すごいですね。

 ところで、福山雅治さんと言えば、2010(平成22)年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、坂本龍馬を熱演し、高視聴率を記録したことが記憶に残っています。
 そこで、「平成のもて男・福山龍馬(雅治)」と、「幕末のもて男・坂本龍馬」の2人の「龍馬の結婚」を、比較してみたいと思います。

 まず、二人の簡単なプロフィールです。

 福山雅治(ふくやままさはる)さんは、1969(昭和44)年2月6日に長崎県長崎市で生まれました。
 俳優、シンガーソングライター、ラジオDJ、写真家、音楽プロデュサーなのど肩書がある46歳です。代表曲は「桜坂」や「家族になろうよ」などです。
 俳優としては、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役を演じたほか、フジテレビ系テレビドラマ「ガリレオ」や映画「そして父になる」などの主演でも高い評価と人気を博しました。

 ラジオでは、ニッポン放送「福山雅治のオールナイトニッポン(魂のラジオ)」のDJを、1992年から2015年まで、23年間担当しました、
 写真家としても、2008年北京オリンピックのテレビ朝日・オフイシャルカメラマンを担当するなど一流です。

<福山雅治さんのふるさと 長崎市>





 一方、坂本龍馬(さかもとりょうま)は、天保6年11月15日(1836年1月3日)に幕末土佐藩(現在の高知県高知市)で生まれました。

 江戸修行で、「北辰一刀流の免許皆伝」となりますが、帰郷した土佐に満足せず脱藩し、勝海舟に師事します。
 その後、幕末の志士として全国を駆け回り、「薩長同盟の締結」や「大政奉還」に尽力したほか、日本初の貿易会社「亀山社中(のち海援隊)」を設立しました。

 慶応3年11月15日(1867年12月10日)、京都・近江屋で暗殺されます。
 33歳(現在の数え方だと31歳)の若さでした。


 次に二人の結婚のいきさつとお相手です。

   福山雅治さんの新妻、吹石一恵(ふきいしかずえ)さんは大阪府出身で、1982(昭和57)年9月28日生まれですので、結婚発表の日で33歳になりました。
 大正大学文学部卒業で、1歳から紙おむつ「メリーズ」のCMキャラクターになり、現在まで、女優・タレントとして活躍しています。
 父親は、元近鉄バファローズの内野手の吹石徳一さんです。

 二人の出会いは、2001年に、雑誌「an・an」の企画で、福山さんが吹石さんの「高校生卒業記念写真」を撮った時です。
 この時、福山さんは、「狙った色気じゃない無防備さに、かなりグッときちゃいましたね。」との感想を語りました。

 その後、2010年に知人の紹介で再会し、2012年1月末には吹石さんが深夜に、ペットのウサギをつれて、福山さんのマンションへ出入りする姿が「写真週刊誌」にリークされ、一時、話題になりました。
 以降は、秘密裡に愛をはぐくみ、2015年9月の吹石一恵さんの誕生日に入籍し、晴れて「家族」になりました。


 一方、坂本龍馬の結婚相手は、楢崎 龍ならさき りょう)で、通称「おりょう」と呼ばれていました。
 天保12年6月6日(1841年7月23日)に京都で生まれました。

 父の楢崎将作は医師であったため、最初は裕福でしたが、将作が「安政の大獄」で捕まり投獄され、出獄後、病死したため、龍馬と出会った時には極貧の状態でした。

 旅館で働いていた「おりょう」と龍馬が出会ったのは、元治元(1864)年頃と言われていますので、今の年齢で言えば、龍馬28歳、おりょう23歳です。
 龍馬は、彼女のことを「まことにおもしろき女」と、手紙に書いています。

 慶応元年8月1日(1865年)に、京都で祝言を挙げたと、後におりょうが語っていてます。
 二人が結婚式を挙げたと言われる場所を示す碑が、京都府東山区三条通の「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの前にあります。

 一方で、司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」では、こんな話が紹介されています。
 「薩長同盟」成立直後の慶応2(1866)年1月23日に、坂本龍馬が京都・寺田屋で幕府の捕吏に襲われた「寺田屋事件」の際に、旅館に勤めていた「おりょう」が、入浴中であったにもかかわらず龍馬に異変を知らせたました。

 このことによって、辛くも龍馬は脱出に成功しました。
 この寺田屋事件が縁で、二人は結婚したという内容です。
 「竜馬がゆく」の方が、ロマンチックですが、本当はどうなのでしょうね?

 いずれにせよ、寺田屋事件で二人の愛が深まったのは事実のようで、龍馬とおりょうは、この後、西郷隆盛の勧めで、3月4日に大阪を船で出て、3月10日に鹿児島に着いています。

 その後、龍馬たち二人は、霧島温泉や高千穂峰登山なども行っています。
 この旅行が、「日本最初の新婚旅行」だと言われています。

 坂本龍馬は、この翌年の慶応3(1987)年11月15日に京都・近江屋で暗殺されますが、おりょうさんは、明治39(1906)年まで生き、同年1月15日に66歳で神奈川県横須賀市で亡くなっています。

 大正3(1914)年に、おりょうの骨の一部は、坂本龍馬が眠る京都東山の霊山護国神社に埋葬され、二人の「龍」は仲良く京都東山に眠っています。

<鹿児島県にある「龍馬とおりょう」の銅像>




 最後は、福山龍馬、いや福山雅治さんの結婚の話に戻ります。

 冒頭では、福山さんが、ファンクラブ(BROS.」の皆さんに書いた、「結婚報告メッセージ」の前半部分を紹介しましたが、おしまいは、同メッセージの後半部分を紹介したいと思います。


「 無我夢中で走ってきた東京での暮らし中で、時に支え、時に支えて欲しいと思える人と出逢っ       たこと。
 その出逢いが、今日のご報告になりました。
 これからも変わらず、その時々の自分が目指す「新しい自分」への挑戦は続いていきます。
 その道を、BROS.と共に歩いて行くことが出来るのなら、こんなに嬉しいことはありません。

 人生の半分以上を共に過ごしてきたBROS.(公式ファンクラブ)という家族に、一番に伝えたかったご報告です。

 これからもよろしくお願いします。」

 (2015年9月28日 福山雅治さんの「結婚報告メッセージ」より)


 「福山ショック」はショックとして、私たち一人一人が「新しい自分への挑戦」を、福山龍馬や坂本龍馬のように、続けていきたいものです。
 

<坂本龍馬が詠んだ短歌>

「 世の人は 我をなんとも 言わば言え 我が成すことは 我のみぞ知る」

 

 
 

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