2015年10月9日金曜日

小学校の運動会と名曲「おさななじみ」~万年ビリがトップになった日~

 10月12日は「体育の日」です。秋は運動会のシーズンですね。
 最近は、春に行うところも多いようですが、やっぱり「運動会」や「体育祭」は秋のイメージが強いですよね。
 そこで、今回は「運動会」と「体育の日」の話をします。

 「運動会」の起源は、ヨーロッパにあると言われていますが、欧米では「特定種目の競技会」や、子供たちによる「ピクニック会」などが主流になっています。

 日本の「運動会」のように、プログラムに沿って競技を行っていくのは日本独特の行事です。
 海外では、朝鮮半島や台湾など、戦前・戦中に日本が統治していた地域にも残っているそうです。

 日本で初めて「運動会」が行われたのは、1874(明治7)年3月21日に海軍兵学校で行われた「競闘遊戯会」だったと言われています。
 その後、文部省の推奨もあって、全国の学校に「運動会」が広がっていきました。

<写真>



 あなたは、「運動会」と聞いて、何を思い出しますか?
 クラス対抗リレー、障害物競争、綱引き、玉入れ、お弁当、場所取り、オクラホマ・ミクサー等々、いろいろありますよね。

 私は運動会と聞いて、まず思い出すのは、小学校の時の「奇跡の徒競走」です。

 その頃は「ランニング」と言っていましたが、クラスごとに身長の順番に5~6人ぐらいが1組になって、スタートしていきました。

 「障害物競争」や「借り物競争」なら番狂わせもありますが、「早いものが勝つ」の代名詞のような競技が「徒競走(かけっこ)」で、何度練習しても、「A君が1位、B君が2位、私が最下位」の順番は不動でした。

 ほとんど勝ち目はなく、希望もなく、あまり気乗りのしないまま、私の組の「スタート」の時間が近づいてきました。

 「位置について よーい」
 先生の声がして、ピストルを持った右手が高く上がりました。
 スタートが近づくと、さすがに私の胸もドキドキしてきました。

 「ドーン」という音がして、みんなが勢いよく飛び出して行きました。
(あっ)と思った時には遅く、私は見事に出遅れてしまいました。

 遥か遠くに行ってしまったトップグループでは、A君とB君が激しい先頭争いをしていました。
 大歓声が運動場に木霊(こだま)しています。

 私は私なりに一生懸命に走りますが、トップとの差は広がる一方で、応援席の家族の顔を見るのも恥ずかしくて、うつむいて走りました。

 トップが3分の2以上を走り終わった時でした。観客の歓声がざわめきに変わりました。
 私が驚いて前の方を見ると、なんと、トップ争いをしていた2人が交錯して、A君とB君が転んでしまっていました。

 さらに、あとから走ってきたC君もD君もE君も、二人の体につまづいて転んでしまいました。

 私は、みんなから離されて走っていたのが幸いして、転ばずにみんなが倒れている横を、ウルリとすり抜けて走りました。    
 ふと気がつけば、私がトップに立っていました。
 会場中が、爆笑につつまれていました。
 私の前に、ゴールの白いテープが見えてきました。

 その時でした。
 A君が立ち上がり、猛然と私に迫ってきました。
「せっかくのチャンスを逃がさないぞ」と、私も必死で走りました。
 再び、運動場が大歓声に包まれました。
 
 私はA君より一瞬早く、ゴールのテープを切りました。
 小学校の徒競走で、「万年ビリがトップになる」という奇跡が起こった瞬間でした。

 <1番>と書かれた紙をもらった私は、やっと我に返りました。
 「やった1番だ。エースのA君に勝った。」
 そう思うと、恥ずかしくもうれしい気持ちになりました。
 その日の秋空に浮かんでいた白い雲を、今も覚えています。

<写真>

 2015年の「体育の日」は10月の第2月曜日の10月12日です。
 「体育の日」が10月の第2月曜日になったのは、ハッピーマンデーが取り入れられた2000(平成12)年からです。

 それまでは、10月10日が体育の日でした。これは、1964(昭和39)年10月10日に、日本初の夏のオリンピックの「東京オリンピック」の、開会式が行われたことを記念して、1966年から祝日になったことに由来します。

 「東京オリンピック」と同じころ、1963(昭和38)年に作られた歌に「おさななじみ」(作詞 永六輔 作曲 中村八大)があります。
 デユークエイセスが歌った名曲ですが、この歌の3番に小学校の運動会のことが出てきます。


3 小学校の運動会
  君は一等 僕はビリ
  泣きたい気持ちでゴールイン
  そのまま家まで駆けたっけ♪


 1回の奇跡を除いて、いつも最下位争いをしていた私はこの曲の歌詞に共感し、今でも大好きな歌です。
 ちなみに、この歌には1番から10番までありますが、そのうち学生時代までを歌った「青春の香り」のする5番までを紹介します。


1 幼なじみの思い出は
  青いレモンの味がする
  閉じるまぶたのその裏に
  幼い姿の君と僕


2 お手々つないで幼稚園
  積み木・ブランコ・紙芝居
  胸にさがったハンカチの
  君の名前が読めたっけ


4 ニキビの中に顔がある
  毎朝鏡とにらめっこ
  セーラー服がよく似合う
  君が他人に見えたっけ


5 出すあてなしのラブレター
  書いて何度も読み返し
  あなたのイニシャル何となく
  書いて破いて捨てたっけ

 

 作られた時代は古くても、今でもピッタリくる歌詞ですよね。
 「青いレモンの味のする」学生時代が、生き生きと思い出される名曲です。

 因(ちな)みに、この歌の後半では、おさななじみの二人が大人になって結婚して陽気なパパと
ママになるという「ハッピーエンド」で終わっています。
 でも、ビリのパパは、1等のママには、一生、頭が上がらないのでしょうね。(笑)

 この歌のレコードのB面には、「続 おさななじみ」が収録されており、さらに「おさななじみ~その後~」という歌も出されています。

 でも、個人的には、「おさななじみ」の歌詞で十分だと思います。
 
<「おさななじみ」のレコードジャケット>

 




 最後にもう一つ、運動会の奇跡の話をします。

 小学校の運動会の「かけっこ」でスタートを切った5年のF君は、突然、逆走してスタート地点へ走り出しました。
 会場はどよめきました。

 F君は、スタート地点に帰ると、うずくまっていた体の弱いGちゃんを介抱しました。

 前を走っていた他のメンバーも、そのことに気付いてスタート地点へ引き返しました。
 F君、Gちゃん、他のメンバーも一緒に、ゴールインしました。

 閉会式で校長先生は、「一生忘れられない、すばらしい運動会でした。」と講評したそうです。


<写真>



 今年はどんなドラマが、みなさんの近くの学校の運動会で起こるのか、楽しみですね。


<一句>

 今もなお オクラホマ・ミクサーに 胸がキュン


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