2015年9月23日水曜日

2015年は名月とスーパームーンの競演 ~月の不思議な話~

 「名月を とってくれろと 泣く子かな」

 これは、江戸時代の俳人小林一茶が、(美しい月がほしいと駄々をこねる子供)の様子を読んだ、ほのぼのとした名句です。
 今回は、「名月とスーパームーン」の話を中心にお話をします。

 2015年の「中秋の名月」は9月27日で、その翌日の9月28日が「満月でスーパームーン」です。
 「中秋の名月=満月ではないの?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、実は時々、ずれることがあるんです。

<写真「昼間の月」>



 「中秋の名月」は、旧暦8月15日の月を言います。これは、文字通り「秋の真ん中の月」のことを指します。
 旧暦では「7月~9月」が秋ですので、そのちょうど真ん中、8月15日が「中秋の名月」です。
 
 もう一つ、「仲秋の名月」という表現がありますが、「にんべん」を付ける「仲秋」は旧暦の8月のことを指しますので、「仲秋の名月=8月の美しい月」という意味になって、必ずしも旧暦8月15日の月だけを指すものではなくなります。
 因(ちな)みに、旧暦7月は「孟秋」、旧暦9月は「季秋」と呼びます。

 一方、「満月」は、月が「望(ぼう)」、つまり地球から見てちょうど太陽の反対方向を通る瞬間を迎える日のことを意味します。
 9月の「望」は、正確には9月28日の午前11時50分頃ですので、この日が満月ということになります。

 さらに、月と地球の距離が、今年最も接近(356,876km)するのも、9月28日午前10時46分ですので、この日の月は、「月と地球の最接近時に見える満月=スーパームーン」ということになります。普段の月より、明るさで30%、大きさで14%増しだそうです。
 
 「スーパームーン(Super moon)」という言葉は、占星術の用語で天文学の用語ではありませんが、それだけに、「月の不思議なパワー」を最大限に受けるという話には、現実味があると思いませんか?

 「スーパームーン」のパワーの一つとして言われているのが、大地震との関係です。

 例えば、2004年12月26日に起きた「スマトラ島地震とインド洋大津波」(M9.1、死者22万人)の2週間後の2005年1月10日に「スーパームーン」がありました。

 また、2011年3月11日の「東日本大震災と大津波」(M9.0、死者・行方不明18000人以上)の8日後の2011年3月19日にも、「スーパームーン」がありました。

 そう言えば、今回の「スーパームーン」の11日前にあたる9月17日にも、チリでM8.3の巨大地震がありましたね。これは、偶然でしょうか?

<写真 月とススキ>






 ここからは、「月にまつわる不思議な話」です。

 日本では、竹から生まれた美しい娘「かぐや姫」が、大きくなって月に帰る話(竹取物語)が有名です。
 この中で「不死の薬」を、日本一高い山の頂上で燃やす話が出てきます。
 この言い伝えから、日本一高い山を「不死山=富士山」と呼ぶようになったとも言われています。

 もう一つ、月で有名なのは「月にウサギがいて餅つきをしている」という「月ウサギ」の話です。
 あらすじを紹介します。

 昔、あるところにウサギとサルとキツネがいました。3匹は疲れ果てた老人に会いました。
 3匹は、それぞれ食べ物をとってきて老人に与える約束をしました。
 サルは木に登って果物を取り、キツネはお墓でお供え物を見つけ、老人に与えました。

 ところが、ウサギは何の食べ物も見つけられなかったので、覚悟を決め、サルとキツネに火を焚いてもらい、「私を食べてください。」と老人に言うと、火の中に飛び込んで死んでしいました。
 老人は実は「帝釈天(たいしゃくてん)」で、ウサギを哀れに思い、その姿を月に移して残しました。

 悲しい話ですね。
 実は、「月と不死とウサギ」をテーマにした話が、南アフリカのホッテントット族に、神話として残っています。
 
 月は、ウサギを使者として人間界に派遣し、「月が死んでも(新月になっても)甦るように、人間たちも死んでも甦るがよい。」と言うように命令しました。

 ところが、ウサギは間違えて、「私(ウサギ)が死んでも甦らぬように、人間たちも甦ってはならぬ。」と伝えてしまいました。
 怒った月は、ウサギの唇を裂きました。ウサギは、今でもピョンピョンと飛んで、月から逃げています。

 遠く離れた日本と南アフリカで、「月と不死とウサギ」の伝説が残っているのは、不思議ですね。
(そう言えば、先日、ラグビーワールドカップで、日本は南アフリカから大金星を挙げましたが、これも月のパワーでしょうか???)

<写真 月とウサギ>




 おしまいは、最初に紹介した「名月を とってくれろと 泣く子かな」を詠んだ、俳人・小林一茶の話です。
 この句を、ほのぼのとした名句と紹介しましたが、実は小林一茶は、こんな句も詠んでいます。

 「名月や膳(ぜん)に 這(は)ひよる 子があらば」

(美しい月を眺めているが、お膳に這ってくる(亡くなった)子供がいたら、もっと楽しいだろうな。)
 というような意味ですが、実はこの中には、一茶の人生の悲哀が含まれています。

 小林一茶(こばやし・いっさ 1763年~1828年)は、江戸時代後期に現在の長野県信濃町に生まれた俳人ですが、3度結婚しています。

 1度めは、一茶52歳の時で、28歳の「きく」と結婚し3男1女を設けます。ところが、4人とも幼い頃に死んでしまいます。妻きくも38歳で病死してしまいます。

 2度目の結婚は、62歳で「雪」としますが、半年で離婚してしまいます。

 3度目の結婚は64歳で、「やを」という女性と結婚し妊娠します。
 しかし、子供が生まれる前に、今度は一茶が他界してしまいます。(お腹にいた一女・やたは、一茶の死後に産まれ、父親の一茶の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えました。)

 小林一茶は、全部で5人の子供を設けますが、結局、1人の子供の成長も見守れなかったとは、悲しい話ですね。

「名月を とってくれろと 泣く子かな」
の句も、小林一茶の人生を知ると、悲しい歌にも聞こえてきますね。

ここで、一句。
「名月に 子どもくれろと 泣く一茶」


 今回の「名月」と「スーパームーン」の話は、悲しい話が多いですね。
 秋の夜長の月は、しみじみと眺めるものということでしょうかね。

 最後は、少しは希望がもてる話を紹介します。

 「スーパームーン」に、お金だけ(カード等を取った)が入った財布をかざして振ると、金運が上昇すると言われています。

 信じるか信じないかは自由ですが、少なくても私はやってみるつもりです。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿