2015年9月20日日曜日

敬老の日の由来・伝説と「療養所(サナトリウム)」

 今年(2015年)の敬老の日は、「シルバーウィ-ク」真っただ中の9月21日です。
 「父の日」や「母の日」は世界的にありますと以前紹介しましたが、「敬老の日」が単独であるのは、日本だけです。
 今回のテーマは、敬老の日の由来と伝説です。

 まず、敬老の日の「2つの伝説」から紹介します。

 1つ目は、「聖徳太子が四天王寺に悲田院を作った」という伝説です。

 聖徳太子(524年?~622年)は、593(推古天皇元)年に、四天王寺(大阪市天王寺区)を建立したと伝えられています。
 この時、四天王寺に「四箇院(しかいん)の制」を作り、その1つとして「非田院(ひでんいん)」という身寄りのない老人や孤児を収容する施設を作りました。

 これが、日本初の「老人ホーム」や「孤児院」とも言われています。
 この「悲田院」が建立されたのが、9月15日だったそうです。

<四天王寺(大阪市天王寺区)>

 

 

 2つ目が、「養老の滝伝説」です。
 岐阜県養老町にある「養老の滝」には、こんな伝説が残っています。

 昔、奈良時代の美濃の国(岐阜県)に親孝行な息子がいました。
 この息子には酒好きの年老いた父親がいましたが、貧乏であったために満足に酒を買ってあげられませんでした。
 息子は、「父親に、たくさん酒を飲ませてあげてください。」と、毎日、神様に祈りました。

 ある日、息子が山の中を歩いていると滝を見つけました。
 その滝の水を飲んでみると、なんと「お酒」でした。
 喜んだ息子は、滝の酒を酌んで帰り、父親にたくさんのお酒を飲ますことができました。

 この孝行話をお聞きになった、「元正(げんしょう)天皇」は、霊亀3(717)年9月の中旬に「滝」に行幸(天皇がお出かけになること)されました。

 天皇は、「この滝の水が酒になったのは、息子の孝行を神様がお褒めになられたからだろう。」と感心し、孝行息子に褒美を授けました。
 さらに、「天下に大赦して、霊亀3年を改め養老元年と成すべし。」との詔(みことのり)を出し、元号を、「霊亀」から「養老」に改元しました。

 それから、この滝は「養老の滝」と呼ばれるようになり、天皇が行幸された9月中旬に「敬老の日」を定めたという伝説です。


<養老の滝(岐阜県養老町)>





 次に、現在残っている確かな「敬老の日」の由来を紹介します。

 戦後間もない、1947(昭和22)年に、兵庫県野間谷村(現在の多可町)の門脇政夫村長と山本明助役が、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう。」と提唱した、「としよりの日」が始まりだと言われています。

 農閑期で気候も良い9月15日を「としよりの日」と定め、村中のお年寄りを集めて、村づくりの意見を聞いたのですが、この時の対象は55歳以上だったそうです。

 その後、兵庫県内から全国に広がり、「としより」という表現は良くないということで1964(昭和39年)に、「老人の日」と改称されました。
 翌年、1965(昭和40)年に、国民の祝日「敬老の日」が制定されました。
 
 2002(平成14)年までは、9月15日が「敬老の日」でしたが、2003年からは9月の第3月曜日になりました。


 因(ちな)みに、長寿を祝う、主な「賀」の祝いといわれを紹介します。(年齢は、数えです。)
 
<還暦 (61歳)>
 干支(十干十二支)が一巡し、生まれた年の干支に戻ることを言います。還暦祝いに用いられる赤い色は、生命を象徴する太陽の色で、また魔除け、厄除けの色であるとも言われています。

<古希 (70歳)>                                                          中国の詩人・杜甫の「人生七十古来稀なり」という言葉に由来します。                        平均寿命も伸びた現在では、「古希」を最初の長寿祝いにする場合も多いようです。

<喜寿 (77歳)>                                                            「喜」という字の草書体が、七十七に通ずるところから「喜の字の祝い」とも言われ、一般的には扇子に「喜」の字を書いて送る習慣があります。

<傘寿( 80歳)>                                                        「傘」の字を略したものが、八十と読めることに由来しています。金茶の衣服や小物などを贈ります。

<米寿 (88歳)>                                                        「米」の字をばらばらに分解すると八十八になることからつけられた呼び名です。別名「米の祝い」とも呼ばれます。

<卒寿 (90歳)>                                                              「卒」の字は略して書くと「卆」となり、さらにそれを二つに分けると「九十」となることから。別名「鳩寿」とも呼ばれるため、それにちなんで鳩の飾りのついた杖を贈ります。

<白寿(99歳)>                                                        百の字から一を取ると「白」になることから、「百引く一は九十九」という意味でつけられました。それにちなんで、最も清らかな色とされる、白い衣類などを贈ります。

<百賀 (100)歳>                                                       100歳は「百賀の祝い」といい、101歳が”百一賀の祝い”といいます。100歳以上の長寿祝いは毎年行います。ちなみに110歳以上の祝いは「皇寿の祝い」または「珍寿の祝い」といいます。


 お年寄りが多くなり、100歳以上の高齢者は1963年には153人でしたが、2015年9月15日現在では6万1568人と、50年で400倍以上になり、初めて6万人を超えました。そのうち、女性が87%を占めています。

 一方で、貧乏な老人を「下流老人」と呼ぶ言葉も流行り、淋しい老後も見えているような気がします。
 
<敬老の日発祥の地? 兵庫県多可町>

 


 最後は、若い頃、結核で「サナトリウム(結核の療養所)」に入院していた歌手のさだまさしさんが、自身の経験をもとに、一緒に入院していた「孤独なおばあさん」のことを書いた歌詞の一節を紹介します。


♪ 「療養所(サナトリウム)」 (作詞・作曲・歌 さだまさし)

病室を出ていくというのに 
こんなに心が重いとは思わなかった
きっとそれは
雑居病棟のベージュの壁の隅にいた
あのおばあさんが 気がかりなせい

(中略)

ふた月もの長い間に
彼女を訪れる人が誰もなかった
それは事実
けれど人を憐れみや同情で
語ればそれは嘘になる

まぎれもなく人生そのものが病室で
僕より先にきっと彼女は出てゆく
幸せ不幸せ それは別にしても
真実は冷ややかに過ぎてゆく

さまざまな人生を抱いた療養所は
やわらかな陽溜りとかなしい静けさの中

たった一つ僕にもできる ほんのささやかな真実がある
それは
わずか一人だが 彼女への見舞客に
来週からなれること ♪



 この曲を聞くと、私の亡くなった祖母が、結核病棟へ入院していた時のことを思い出します。
 私は、しっかり孫として、見舞客になれただろうかと、反省しています。

 超高齢化社会が迫る中、せめて、「敬老の日」ぐらいは、元気な親や祖父・祖母をお持ちの方は、「ありがとう。元気?」のいたわりの言葉を、直接会うか、それが無理なら電話・メールで、伝えませんか。

 亡くなられた先祖にも、できれば墓参り、それが無理なら心の中で、感謝しましょう。

 私も、「敬老の日」ぐらいは、両親やおじいさん、おばあさんに、ささやかな感謝の言葉を贈りたいと思っています。
 



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