2015年12月19日土曜日

ノーベル賞受賞「大村智さん」(3)~金を残すのは下、中は、上は?~

    ノーベル医学・生理学賞受賞の大村智(おおむら・さとし)さんを紹介するブログの3回目(最終回)は、「ノーベル賞受賞記者会見」での大村先生の名言から紹介します。

「 私の仕事は微生物の力を借りているだけで、私自身がえらいものを考えたり難しいことをやったりしたわけじゃなくて、全て微生物がやっている仕事を勉強させていただきながら、今日まで来てるというふうに思います。
 そういう意味で、本当に私がこのような賞をいただいていいのかなという感じはします。」

 大村先生は、微生物の力を絶賛して、こう続けられています。

「 日本っていうのは微生物をうまく使いこなして今日まで来ている歴史がありますので、そういうのを大事にしております。
 食糧にしても、農業生産にしましても、われわれの先輩たちは本当によく微生物の性質をよく知って、それを人のために、世の中のためにという姿勢でずっと来ています。
 そういう伝統があると思うんですね。そういう中の一環、ほんの1点として私が存在するというふうに思っているんです。」

 お酒づくり、漬物、納豆など、確かに日本には「微生物の力」を活かした食材がたくさんありますね。そういう環境の延長戦上に、自分の研究があるという大村先生の認識は、欧米の研究を基礎としている学問とは、違うものも感じますね。

<大村智先生の伝記>



 大村智先生の略歴の紹介に戻ります。
 1975(昭和50)年、北里大学薬学部教授に就任した大村先生は、微生物の研究に
必要な資金を、アメリカ・メルク社と取り交わした「産学連携の契約」によって、捻出します。

 1990(平成2)年ごろから、北里研究所には毎年15億円前後のロイヤリティ収入が入るようになり、これまでに約250億円以上の収入をもたらしました。
 大村先生は、企業との癒着だとの批判を受けながらも、これらの資金を、研究助成や研究所運営、病院建設などに役立てます。

 大村先生は、財政が悪化していた北里研究所を再建するため、1984(昭和59)年に北里大学の教授を辞職し、北里研究所の理事として副所長に就任します。
 「経営学と不動産学」を学び、メルク社からのロイヤルティを活用して、北里研究所の再建に尽力しました。

 1989(平成元)年には、大村先生の提案により「北里研究所メディカルセンター」(病院)を設立し、1990(平成2)年には、北里研究所の所長に就任しました。

 北里研究所の再建に道筋を付けると、2008(平成20)年「学校法人北里学園」との統合を行い、法人の名称を「学校法人北里研究所」に変更しました。
 統合が完了すると、北里研究所の所長を退任しました。

 北里大学では、再び教鞭を執り、2001(平成13)年に大学院の研究部門である「北里生命科学研究所」教授に就任しました。
 また、北里大学大学院の「感染制御科学府」においても、2002(平成14)年から2007(平成17)年まで教授を務めました。

 これまでの功績により、2007(平成19)年には北里大学より「名誉教授」の称号が授与され、2013(平成25)年には、北里大学の「特別栄誉教授」となっています。(この名称が、現在使われれています。)

 研究部門では、40年以上に渡って微生物の研究を行い、450種類の新規化合物を発見し、2015(平成27)年、「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」により、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

 略歴で注目すべきは、大村先生は、医者ではなく薬剤師であることと、本来は教育学部系の山梨大学学芸学部卒業の教員であったことです。
 また、大村先生が他の研究者と違うのは、研究から資金を得、それを活用して、教育・医療・研究環境の充実などに活かす仕組みを作り上げたことだと思います。

 この点、幕末の志士でありながら、「亀山社中」(のち海援隊)という貿易商社を作って、経済活動をして得た資金で、倒幕への道筋(薩長連合)をつけた坂本龍馬に似ているような気がします。

<北里研究所メディカルセンター>



 大村智先生の家族の話をしますと、2000(平成12)年に奥さんの文子さんが病気で亡くなられています。
 大村先生は愛妻家で、ノーベル賞受賞の報を受けた時にも、「天国の文子が一番喜んでくれている。」と話し、文子さんの写真を授賞式会場まで持参されました。

 自ら理事長を務める「女子美術大学」に、文子さんの名を冠した「大村文子基金」を私費で作り、女子美生のフランス・パリやイタリア・ミラノへの「留学資金」や美術活動費(美術奨励賞)を支援しています。

 現在は、娘さんの育代さん(42歳)と2人暮らしで、スウェーデンでのノーベル賞授賞式にも、娘さんが同行していました。

 育代さんについて、大村先生はこう言っています。
 「『お父さんおめでとう』って、小さな声で 言ってくれました。
  そういう娘なんですよ。 遠慮がちなね。
  でも、いろんな準備を してくれまして、『寒いからこれを持っていきましょう』とか。
   本当に『ああ、娘がいてよかったな』と思うことが多かったです。」

 一方、育代さんは、お父さんの大村智先生について、こう語っています。
「こわそうに見えるかもしれないけど、よく話すし、とても気さくな性格です。」
 いい親子ですね。

 大村智先生は研究以外にも、「女子美術大学」(東京都杉並区)の理事長を務めたり、地元の山梨県韮崎市に、私費5億円を投じて「韮崎大村美術館」を建てて初代館長にも就任しています。

 また、「韮崎大村美術館の隣には、温泉施設「武田乃郷 白山温泉」も作り、オーナーを務めておられます。
 大村先生の言葉を借りれば、
「それほど儲かっているわけではないが、お客さんはそれなりに来て下さっているので、資金は回転している。
 掛け流しで、露天風呂からは八ヶ岳、茅ヶ岳が眺望できる。何より、お湯自体がすばらしい。」
とPRしておられます。
 その温泉も、美術館も、今回の大村先生のノーベル賞受賞で、入場者が飛躍的に増えているそうです。思わぬところに「ノーベル賞」効果ですね。


<武田乃郷 白山温泉(山梨県韮崎市)>




 最後に、大村智先生の名言をいくつか紹介したいと思います。

 大村先生は、学生や若手の研究者たちに、アドバイスされています。
 「こうしたいと思ったら、絶えず求め続けるべき。求め続けなければ授かることはできない。
神様は『プリペアードマインド』(心の準備ができている)を持っている人に、贈り物をくれます。」

 「分かれ道があったら、楽な方でなく、難しい道を選びなさい。苦労して失敗しても爽やか感が残る。」

「人との出会いを大事にしなさい。一期一会を大事にすれば、きっといいことがある」

 最後は、ノーベル賞の賞金を「若い人の育成資金」に寄付すると、笑顔でおっしゃたあとの大村智先生の名言です。
「人生の終わりにお金を残すのは下だ。仕事を残すのは中。人材を残すのが上だ。」

 ちなみに、「大村智研究室」からは、多くの研究者を育ち、31名の大学教授と120名の博士を輩出しているそうです。


<一句>

 「土に住む 宝探して 人救う」

 「微生物 世界を変える 力秘め」


  

0 件のコメント:

コメントを投稿