2015年12月15日火曜日

ノーベル賞受賞「大村智さん」(2)~毎年2億人を感染症から救う ~

 今回は、 2015年の「ノーベル医学生理学賞」を受賞した、大村智(おおむら・さとし)北里大学特別栄誉教授 の「半生と名言」の2回目です。

   東京の墨田工業高校の定時制の教師を務めながら、大学院で勉強をしていた大村さんは、教え子から「コンちゃん」と呼ばれていました。
 当時、人気俳優・コメディアンで、「オロナミンC」のCMでも有名だった大村昆(おおむら こん)さんに、似ていたからだそうです。

 大村先生は「働きながら勉強する生徒」を尊敬し、生徒たちは「教えながら大学院で学ぶ先生」を尊敬していたそうです。いい話ですね。

 1963(昭和38)年に、「東京理科大学大学院理学研究科修士課程」を修了した大村先生は、母校の山梨大学工学部発酵生産学科の助手となり、いよいよ「本当の研究者」の道を歩み始めます。
 当時、大村智先生は28歳でした。

 プライベートでは、この年、文子さんと結婚されています
 高校教師の先輩に紹介されたのが馴れ初めで、文子さんの朗らかな性格に魅力を感じたそうです。
 大村先生の収入が少なかった頃は、文子さんが子どもたちにそろばんを教えたり、家庭教師をしたりして家計を支えました。

 そう言えば、大村先生は、ノーベル賞の授賞式に、亡くなった文子さんの写真を大切にもっていて、「一緒にスウェーデンに来たかった」と言っておっしゃっていましたね。
 「おしどり夫婦」だったようです。

 山梨大学では、山梨特産のワインやブランデーの醸造の研究などをし、大村先生は、ブトウ糖が一夜でアルコールに変換されるのを見て、「微生物の持つ可能性」に心を揺さぶられ、もっと微生物を研究したいと思うようになりました。

<北里研究所本館(愛知県 明治村)>


 
 「情報が多く集まり、設備が整った研究所で研究をしてみたい。」という思いに駆られ、1965(昭和40)年、30歳になった大村先生は山梨大学を退官し、「(社)北里研究所」(東京都港区)に、「技術補」として入所します。

 ここから、本格的に抗生物質の研究に取り組み、まず最初は「ロイコマイシン(キタマイシン)」という扁桃 (へんとう) 炎や肺炎などの 感染症の治療に用いる抗生物質の構造の解明に取り組みました。  

 1968(昭和43)年、「ロイコマイシンの研究論文」で、東大薬学部から薬学博士号を取得し、
北里大学薬学部の助教授になりました。
 1969(昭和44)年には、東京理科大学で理学博士号も取得します。

 1971(昭和46)年、カナダの国際学会で知り合った「アメリカ化学会会長のマックス・ティシュラー(1906年~1989年)氏」に留学を打診し、採用されると米国のウエスレーヤン大学に客員教授として招かれ、米国の先端研究に触れます。

 この時、アメリカの潤沢な研究資金が民間企業との提携で生まれていることを知りました。
 大村先生は、マックス・ティスラーが以前にいた「アメリカ・メルク社(ドイツに本社を置く、世界的な医薬・化学品企業)」を紹介してもらい人脈を築きました。
  アメリカでは、和食しかだめな大村さんに、奥さんの文子さんが、毎日、弁当を届けてくれました。

   1973(昭和48)年、「北里研究所の抗生物質研究室」の室長として帰国する時、メルク社との間で産学連携の契約を取り交わします。
 開発した薬剤が実用化された売上高に応じて特許料を北里研究所に支払う内容で、「産学連携」を取り入れた日本では画期的な契約でした。
 大村先生は、1975(昭和40)年に、北里大学教授に就任しています。

 この頃から大村先生は、いつも「財布にビニールの小袋」を持ち歩くようになりました。
 行く先々で「土」を採集し、その中から病気治療などに有益な菌を集めているそうです。
 毎年、大村先生のグループは、2000株とか3000株を培養にかけ、4000~6000の培養液についてチェックしているそうです。

 これまでに土壌から、13新属、42新種の微生物を発見し、微生物が作り出す化学物質を460種も見つけました。

<大村先生が財布に入れてもち歩くビニール袋>



  第1回のブログの冒頭で紹介した、「フィラリア」(蚊が媒介する寄生虫)を予防して、犬などの動物の平均寿命を大きく延ばす要因となった「イベルメクチン」も、このような地道な研究活動から生まれました。
 1979(昭和54)年頃に、静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取した土壌の中から、新種の放線菌「イベルメクチン」は発見されました。(ゴルフのラウンド中ではなかったそうです<笑>)

 大村先生は、発見した菌をメルク社に送り、共同で研究を進め、馬や牛、犬の体内・皮膚にいる寄生虫をほぼ百パーセント駆除する「物質(エバーメクチン)」を生産することを発見しました。
 この菌を「動物薬」にしたのが「イベルメクチン」で、一回投与するだけで完璧な効き目を発揮しました。
 「イベルメクチン」は、1981(昭和56)年の発売から現在まで、動物薬として世界中で発売され、飼い犬をはじめ、多くの動物たちの命を救いました。

 さらに、イベルメクチンのヒト用製剤として作られた「メクチザン」が、1987(昭和62)年よりメルク社と北里研究所から、世界中の熱帯地方に無償提供されています。

 この薬は、WHO(世界保健機構)によって重篤な熱帯病に指定されている「オンコセルカ症」(目が見えなくなる病気、河川盲目症)と、「リンパ系フィラリア症」に、年1回飲むだけで効くことから、メルク社と北里研究所の協力で無償提供され、毎年2億人以上を失明から救っています。

 中南米では、すでに「オンコセルカ症」がほとんど無くなっていて、アフリカでも大きな成果を上げています。
 大村先生のノーベル賞受賞理由の一つとして、「毎年、2億人以上を感染症から救っている」と言われている所以(ゆえん)です。

  大村先生の話は、2回で終わる予定でしたが、調べていると、まだまだ紹介したいことが出てきましたので、もう1回(第3回)、続きのブログを書きたいと思っています。

<オンコセルカ病の盲目の大人を子供が杖で誘導する像(北里科学研究所)>




 2回目の最後に、大村智先生の「ノーベル賞受賞記者会見」での言葉の一部を紹介します。


「 私は人まねしない。人のまねするとそこで終わりなんですよ。それより超えることは、絶対あり得ないんです。
  これはスキーから学んだことなんです。北海道から学んでいた新潟県の国体チームは、まねでは北海道に絶対勝てないことに気づき、勝つために独自の練習を始めたんです。科学も同じだと思うんですね。

 人のまねやってたら、それを超えることはできないんです。
 やはり独自なものをやる必要があります。
 失敗がいくら多くても、人を超えるにはやっぱし、まねしてちゃ超えられないんです。」

 (人と違うものを探し当てられない人に対してのメッセージ、アドバイスと聞かれて)
「努力。もうちょっと、もう一歩、もうひと頑張り!」


 なんか、勇気とやる気が出てくる「大村智先生の言葉」ですね。

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