2015年11月11日水曜日

高倉健さん1周忌 (2) 神エピソードと名言~風に吹かれて~

   2014 (平成26)年11月10日に亡くなられた、日本を代表する俳優・高倉健さんの1周忌に因んで、健さんの「神エピソードと名言」を紹介しながら健さんを偲ぶ企画の2回目(後半)です。

 今回は、高倉健さんが東映から独立し、数々の名作に出演、亡くなるまでの「神エピソードと名言」を紹介します。


 任侠映画の大スターになった高倉健さんですが、これで終わらなかったのが、高倉健さんのすごいところです。
 1976(昭和51)年、45歳の時に、「任侠映画以外の仕事もしたい。」という決意のもと、東映を退社しフリーになります。
 ここから、任侠映画だけでなく広く社会に認めらる「もう一つの映画俳優」・高倉健さんが生まれます。

 まず1976年に、以前紹介した「君よ憤怒の河を渡れ」に主演し、中国など国際的な人気を博します。
 さらに、翌1977(昭和52)年には、「八甲田山」と「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋二監督)に主演し、「第1回日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を受賞します。(任侠映画では、映画賞に無縁でした。)

 このあと、生まれ変わった「俳優・健さん」の快進撃が始まります。
 日本アカデミー賞最優秀主演男優賞の受賞対象になった作品だけに限って、紹介してみます。

 1981(昭和56)年の「第4回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞」では、  『動乱』と、『遥かなる山の呼び声』が受賞対象になっています。
 翌1982(昭和57)年の「第5回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞」は、 『駅 STATION』が受賞対象です。

 さらに、2000(平成12)年の「第23回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞」は、『鉄道員(ぽっぽや)』が受賞対象となっています。
 これで4回目の受賞となります。

 しかし、本当はあと2回、「日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞」にノミネートされていますが、「
若い人に」ということで辞退していますす、
 一つは、2001(平成13)年に製作された「ホタル」で、 もう一つは2012(平成24)年に製作され遺作となった「あなたへ」です。


<「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地・炭鉱住宅(北海道夕張市)>


 
 




 この間の撮影には、多くの「神エピソード」と「名言」が伝えられていますので、その一部を紹介します。

 「幸福の黄色ハンカチ」(1977年)では、冒頭の出所してラーメンとカツ丼を食べるシーンで、迫真のうまそうに食べる演技をして、山田洋二監督に一発OKをもらいました。このシ-ンのために、二日間、何も食べなかったそうです。

 また「夜叉」(1985年)の撮影前には、初共演となるビートたけしさんを、雪が降る田舎の駅で夜中に出迎え、花束を渡したました。
 因みに、健さんは伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」に出演を希望していたそうで、もしかすると、ビートたけしの『タケちゃんマン』の弟子として、「高倉健のケンちゃんマン」が実現していたかもしれませんね。(笑い)

 2006(平成18)年に現地で撮影した中国映画「単騎、千里を走る」の撮影が終わったとき、抱き合って泣く中国人スタッフの姿を見て、大きな衝撃を受け、「お金じゃない何かがあった。あれは何だったのか、とずっと考え仕事が出来なくなった。」そうで、以降6年間、映画出演もCM出演も断りました。

 「日本一ギャラの高い映画俳優」を目指した高倉健さんが、ギャラが上がった晩年、「お金ではない何か」に気づいたというのは、本当にいい話ですね。

 それでも2012(平成24)年に、「長年一緒に仕事をしてきた降旗康男監督と、もう一本やっておきたくて映画出演を決意しました。人生の大事なことに、気がつきました。」
という話をした高倉健さんは、遺作となる205本目の映画作品「あなたへ」の主演を引き受けます。

 この「あなたへ」の取材時、高倉健さんは「役者をやめようと思いましたか?」という質問に、次のように答えています。
 「そう思いましたね。いつまでも偉そうな顔をして高いギャラを取っているのは平等ではないな、と。僕は今、作品を選びながら出演できる。僕がいい役を取っちゃえば、若い人のチャンスを奪うことになりますからね。」

<写真 映画「あなたへ」のロケ地(長崎県平戸市)>




 そして2013(平成25)年、高倉健さんは「文化勲章」を受章します。

 同年11月3日、皇居で行われた「親授式」後の記者会見で高倉健さんは、こう語っています。
 「日本人に生まれて本当によかったと、今日思いました。今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。」

 高倉健さんは、生涯205本の映画に出演しました。
 最後の作品は「あなたへ」でしたが、実は206本目の作品出演の準備をしていたそうです。
 その幻の映画のタイトルは「風に吹かれて」でした。

 高倉健さんの名言に、こんな言葉があります。
 「いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと。
    人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか。」
 
 2014(平成26)年11月10日、そんな高倉健さんが、東京都内の病院で悪性リンパ種のために亡くなりました。享年83歳でした。
 
 ちなみに、この11月10日は、2009年に森繁久彌さんが96歳で亡くなり、2012年には森光子さんが92歳で亡くなった「名優死亡」の特異と言われています。
 
 高倉健さんの死亡は、2014年11月18日に高倉プロモーションから発表され、その死亡を告げる文書には、「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という言葉が添えられていました。

 心より、ご冥福をお祈りしたいと思います。
 
<一句>
 
 名優が 風に吹かれて 秋に逝く
 
 
 

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