2016年2月12日金曜日

さる年の話 2「申年の歴史(1992年、1980年)」~スノーモンキーとさよならの向こう側~

 2016(平成28)年は、申年です。
 そこで、「さる(申・猿)年の話」を、時に触れてしています。

 前回は、12年前の2004(平成16)年を紹介したので、2回目の今回は、「1992年と1980年の申年」の歴史を、遡(さかのぼ)りながら紹介します。


 まず、24年前、1992(平成4)年の「20世紀最後の申年」の出来事を見てみましょう。

 この年は、「国家公務員の週休2日制導入」や「公立学校の月1回土曜日休校」が始まり、本格的な週休2日制の時代がスタートしました。

 また、東海道新幹線に、初めて「のぞみ」が登場しました。
 経済では、「バブル経済が完全に崩壊」した年とも言えます。

 政治では、内閣総理大臣は自由民主党の宮沢喜一(みやざわきいち 1919年~2007年 東京都出身)氏でしたが、後に首相となる細川護煕(ほそかわもりひろ 1938年~ 東京都出身)氏が代表を務める「日本新党」が誕生した年でもあります。

 また、「佐川急便献金事件」で、自由民主党の金丸信元副総裁が逮捕されています。

 海外では、ユーゴスラビアが新連邦と4共和国に分離解体し、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が発生しています。

 もう一つ、後世への影響で言えば、この年の6月に「PKO協力法」が成立し、9月には初めて自衛隊が海外(カンボジア)に派遣されました。

 芸能界では、1992年4月25日に、ロック歌手の尾崎豊(おざきゆたか、1965年~1992年、東京都出身)さんが、26歳の若さで突然死しました。

 また、バルセロナ五輪の水泳競技の女子200m平泳ぎで、14歳になったばかりの岩崎恭子(1978年~、静岡県出身)さんが金メダルを獲得し、「今まで生きてきた中で、一番、幸せです。」という名言を残しました。

 1992年の流行語大賞(「年間大賞」)はというと、百歳姉妹の「きんさん、ぎんさん」でした。
 また、金賞には、「ほめ殺し」、「複合不況」、「冬彦さん」、「宇宙授業」が選ばれました。

 1992年に最もヒットした曲は、米米クラブの「君がいるだけで」(276万枚)で、最もヒットした映画は宮崎俊監督の「紅の豚」(興業収入28億円)、テレビドラマでは「ずっとあなたが好きだった」(TBS 視聴率34.1%)が人気でした。

 1992年のヒット商品としては、「エアジョーダンVII(ナイキ・ジャパン)」、「Gショック(カシオ計算機)」、「グッドアップブラ(ワコール)」、「電子マネジメント手帳 PV-F1(シャープ)」などがあります。

 1992年生まれの有名人としては、ネイマール(2月5日 サッカー ブラジル)、松山秀樹(2月25日 ゴルフ 愛媛県)、指原莉乃(11月21日 AKB48→HKT48 大分県)、横山由依(12月8日 AKB48 京都府)などがいます。

<写真 Gショック(1992年発売)> 

 



 次に36年前、1980(昭和55)年の申年の出来事を見てみましょう。
 2016年の現在から見ると、この年は「(バブル景気へと続く)日本の黄金の80年代」の始まりともいえる年だったと思います。

 日本の「自動車生産台数」が、アメリカを抜いて世界第1位になり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という、1979年に出されたアメリカ・ハーバード大学教授のエズラ・ヴォーゲルさんの本がベストセラーになりました。

 ただし、この本のタイトルは「Jpan is No.1」なく、「Japan as  No.1」たのです。
 「日本がナンバーワン」ではなく、「ナンバーワンとしての日本」という意味でした。
 この頃が日本経済の頂点に向かう途中でしたが、結局、「本当の世界一(IS)」には、なれませんでしたね。

  政治では、自由民主党の大平正芳(おおひらまさよし 1910年~1980年 香川県出身) 首相が初の「衆参同時選挙」の公示後、選挙運動中に急死し、同じ自由民主党の鈴木善幸(すずきぜんこう 1911年~2004年 岩手県出身)内閣が発足しました。

  外国では、「イラン・イラク戦争」が勃発し、11月のアメリカ大統領選挙でロナルド・レーガン(共和党)候補が、現職のジミー・カーター大統領(民主党)を破りました。

  一方、任天堂が初の携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し、原宿には「竹の子族」が出現しました。

 芸能界では、トップアイドルだった山口百恵(やまぐちももえ 1959年~ 東京都出身)さんが21歳で引退し、三浦友和さんと結婚しました。
 同じ年、松田聖子(まつだせいこ 1962年~ 福岡県出身)さんがデビューしているので、アイドルの主役交代の年だったのかも知れません。

 アメリカの芸能界では、1980年11月8日に、元ビートルズで日本にもファンが多く日本人を妻にもつジョン・レノン(1940年~1980年 イングランド出身)さんが暗殺されるという、ショッキングなニュースがありました。

 この年の流行語としては、漫才コンビ「ツービート」のビートたけしさんが言った「赤信号、みんなで渡ればこわくない。」や、松田聖子さんを表現した「ぶりっこ」などがありました。

 1980年に最もヒットした曲は、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」(156万枚)、最もヒットした映画は、アーヴィン・カーシュナー監督の「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(興業収入32億円)、テレビドラマでは「3年B組金八先生」(TBS 試聴率39.9%)が人気でした。

 1980年のヒット商品としては、「ポカリスエット(大塚製薬)」、「ルービック・キューブ(ツクダオリジナル)」、「チョロQ(タカラ)」、「ウォッシュレット(東陶機器)」、「ソーラー電卓(東和サン電気)」などがあります。

 1980年生まれの有名人には、桐谷健太(2月4日 俳優 大坂)、ロナウジージョ(3月21日 サッカー ブラジル)、竹内結子(4月1日 女優 埼玉県)、広末涼子(7月18日 女優 高知県)、マルチナ・ヒンギス(9月30日 テニス スロヴァキア)、岡田准一(11月18日 V6・俳優 大阪府)などがいます。

 まとめると、日本経済の黄金時代が始まったのが1980年の申年で、その後のバブルが完全にはじけたのが、1992年の申年ということになります。
 「サル年は、節目の年」いうのは、当たっていそうですね。

<写真 ベストセラー本「Japan as No.1」>

 


 おしまいに、海外で人気の「スノーモンキー」についてのお話をします。

 「スノーモンキー(Snow Monkey)」は、日本ザルのうち、北の地方に住み、温泉に入るものを言い外国人には非常に人気の高いサルです。

 最も有名なスノーモンキーの生息地が、「地獄谷野猿公苑(じごくだにやえんこうえん)」(長野県下高井郡山ノ内町)で、毎年、10万人の観光客が訪れますが、その7割が外国人と言われています。

 温泉に入るサルのことを、外国人が「スノーモンキー」と呼んで人気になったのは、1970(昭和45)年に、アメリカの有名な写真雑誌『LIFE』の表紙で、「Snow Monkey of Japan」と紹介されたことがきっかけだと言われています。

 標高850m、積雪は1mを越え、厳冬期には、最低気温が-10度を下回ることもある「地獄谷野猿公苑」には、縦4m・横10mの「おサルさん専用の露店風呂」があり、50~60頭のサルが温泉に入っています。

  日本では、ニホンザルは珍しくなく、有害獣でさえありますが、「スノーモンキー」は、世界中の人気者です。
  なぜ、こんなに「スノーモンキー」が人気なのか、不思議ですね。
  外国人旅行者の感想を少し紹介します。

「 日本旅行のハイライトは、スノーモンキーでした。
  私達の国にもサルはいますが、どうやってこんなに寒くて雪深い場所に適応したのか、とても興味がありました。
  結論? スノーモンキーは、この寒い環境に素晴らしく適応していて、ほんとうにかわいかった。」 (シンガポールからの旅行者)

「 ずーっと会いたかったスノーモンキーに、ついに会えました。
  まさに思い描いた通りの素晴らしい体験でした。
  とてもかわいくて、かなり近寄って写真を撮ることができるし、みんなが温泉につかる姿はとてもキュートでした。」(オーストラリアからの旅行者)


 猿が自ら温泉に入りに来る「地獄谷野猿公苑」。
 こんな光景は世界中をさがしてもここだけ!温泉にはいるその表情はまさに極楽~!

 このように海外の人気は高く、ついには、あの「ミシュラン・グリーンガイド」にも掲載されたそうです。

 そう言えば、以前、中国南部の広州動物園に行った時、日本人の私たちは、「ガラスのないパンダ舎」に夢中でしたが、地元中国の人たちは、「日本ザル」のようなサルの檻の前に集まり、黒山の人だかりでした。

 外国では、以外と「日本ザル」が人気で、とりわけ「スノーモンキー」が人気なら、日本の観光は、これを活かしてほしいと思います。

  私は、サルが温泉から出た後、雪の中で「湯冷め」をしないか心配でした。
  でも、「安心してください。」
  サルの体毛は「長くて硬い毛」と「短くて柔らかい毛」で出来ていて、温泉で濡れるのは外側の長く硬い毛のみで水をはじくため、スノーモンキーは、「湯冷め」をしないそうです。

<写真 温泉に入るスノーモンキー>



 最後に、1980年のサル年に引退した「伝説のアイドル」、山口百恵さんのラストシングル「さよならの向こう側」の歌詞の一部を紹介します。



♪「さよならの向こう側」♪

作詞 阿木燿子
作曲 宇崎竜童
 歌  山口百恵

♪ 何億光年 輝く星にも 寿命があると
教えてくれたのは あなたでした
季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命
知らせてくれたのも あなたでした
last song for you, last song for you
約束なしの お別れです
last song for you, last song for you
今度はいつとは言えません

あなたの燃える手 あなたの口づけ
あなたのぬくもり あなたのすべて
きっと私忘れません
うしろ姿見ないでください

Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything
さよならの かわりに 


<一句> 

 温泉で スノーモンキー  赤ら顔

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