3月は「旅立ち」、「卒業」、の季節です。
現在、日本の卒業式で最もたくさん歌われている「No.1卒業ソング」は、文部省唱歌でも、有名歌手の歌でもなく、埼玉県の中学校の先生たちが作った曲「旅立ちの日に」です。
たくさんの人が卒業式で聴いたり歌ったりした経験のあると思います。
まず、この曲の1番を紹介します。
♪「旅立ちの日に」
作詞:小嶋 登 作曲:坂本浩美
♪ <1>
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君はとび立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり
このひろい大空に夢をたくして♪
<写真:歌が誕生した秩父市立影森中学校(埼玉県)>
『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991(平成3)年に、埼玉県秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登先生が作詞し、音楽教諭の坂本浩美先生が作曲した合唱曲です。
影森中学校の小嶋校長と音楽の坂本先生は、荒れていた学校を建て直すために、「歌声の響く学校」を掲げ、合唱の機会を増やしました。
始めのうちは、生徒たちは抵抗しましたが、小嶋校長と音楽科教諭の坂本先生たちが、粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなりました。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の春、1991(平成3)年2月、坂本先生は、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、生徒に歌をプレゼントすることを思いつきました。
坂本先生は、作詞を小嶋校長先生に依頼しました。
一旦は、小嶋校長は、
「私にはそんなセンスはないから」
と断りましたが、翌日、坂本先生ののデスクに書き上げられた詞が置いてありました。
その詞を見た坂本先生は、
「なんて素敵な言葉が散りばめられているんだろう。」と感激しました。
坂本先生は、授業の空き時間にひとり音楽室にこもり、作曲に取り組みました。
旋律が湧き出るように浮かび、楽曲制作は、わずか15分で完成しました。
この曲は、一度だけ、「3年生を送る会」で、教職員たちが卒業生に向けて歌うことになっていました。
「You Tube」には、小嶋校長が初めて歌う様子が残っているものもあります。
<初演 合唱曲 「旅立ちの日に」>で検索してみてください。
初めて「旅立ちの日に」を披露した1991年3月、小嶋登校長は定年退職しました。
小嶋校長が披露した「旅立ちの日に」は、これが最初で最後となりました。
ところが、名曲は一人で歩き始めました。
翌年も、その翌年も、影森中学で歌われ、やがて周辺の学校や埼玉県内全域に広がりました。
1998(平成10)年には、雑誌『教育音楽』に取り上げられたこともあって、全国の学校で歌われるようになりました。
その後、芹洋子さんやダークダックス、秋川雅史さんなど、有名歌手がカバーし、2007年にはSMAPが「NTT東日本」のCMで歌いました。
そして今では、小中高の卒業式で広く歌われ、『仰げば尊し』や『贈る言葉』などに代わり、日本一多く歌われる卒業ソングとなりました。
埼玉県の中学の先生たちが作った曲が、日本一の卒業ソングになったのは、すごいですね。
それでは、2番以降を紹介します。
♪<2>
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心かよったうれしさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼に込めて 希望の風にのり
このひろい大空に 夢をたくして
いま 別れのとき
飛び立とう 未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい このひろい 大空に♪
<写真:「旅立ちの日に」の歌碑(埼玉県秩父市立影森中学校)>
作詞者の小嶋登元校長は、「旅立ちの日に」の曲が出来て、ちょうど20年目の2011(平成23)年1月20日に、急性心筋梗塞のため80歳で亡くなられ、「大空へ」とび立たれました。
作曲者の坂本浩美先生は、結婚されて高橋浩美先生になり、特別支援学校で教師を続けておられます。
2人が作った「旅立ちの日に」は、毎年3月に、日本中で歌われています。
小嶋登先生が亡くなった2011(平成23)年11月、「旅立ちの日に」の作詞者小嶋登さんと、作曲者の高橋浩美さんに、埼玉県より「彩の国特別功労賞」が贈呈されました。
秩父市にある「秩父ミューズパーク」には、「旅立ちの丘」として展望デッキを備えた施設があり、誕生の舞台となった影森中学校の生徒による「旅立ちの日に」のコーラスが流れる仕掛けになっています。、
また、卒業式の歌「旅立ちの日に」の歌碑が、影森中学校内にあります。
中学の2人の先生が作った「旅立ちの日に」は、毎年、多くの旅立つ若者に、勇気を与え続けています。
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